信夫山48石と史跡めぐり

信夫山四十八石のなぞ ~いまも残る伝説の石たち~

信夫山がなぜ面白いか? というと景観や自然に加えて、さまざまな史跡や物語があることだが、おどろくことは、信夫山に登るとそれらの史跡が、すべて現物としてそこにある。

むかし、信夫山は山岳信仰の修験道と結びつき「山伏の山」として大きく栄えた。古来は青葉山と呼ばれ、羽黒山を中心に東に熊野山、西に羽山があり、北東に立石山の巨岩がそびえ、西の鴉ガ崎までは月山・湯殿山の霊岩が露出して、全山が岩のご神体である、といわれてきた。
 そのため、登拝路の周辺に謂れのある「御山四十八石」がうまれ、ひとつひとつに伝説が残されている。いま、その多くが開発とともに失われているが、半分くらいはまだ残っている。

「探索ブック」見開きページの地図で確かめて、訪ねてみよう。


●信夫山にもきた弁慶

足跡石

県庁から真直ぐ突き当たった、むかしの本参道(祓川口)の左に、弁慶の「足跡石」がある。弁慶が釣鐘をかついで登った巨大な足跡が三つ、くっきりと残されている。



膝かぶ石゛

もう一つが、羽黒神社の下の弁慶の「膝かぶ石」だ。弁慶がひざをぶつけたら、ぼこんと岩が凹んでしまったという。

膝痛で悩む人はこの穴に膝を当てると、平癒するといわれている



●五つ石と熊野ババの話し

五つ石

第一展望台の上に「五つ石」と云われる岩が並んでいる。後ろから見ると、五匹の犬が吠えてうずくまる姿をしているが、これはには哀しい話しがある。

昔、西の羽山は女人禁制の厳しい修験の山だった。そこに修行に来ていた若い山伏僧を追って、母親が青葉山に住みついた。
何年も待ったが僧はなかなか修行が終わらなかった。そのうちに、母親は年をとって熊野のババと呼ばれるようになった。そして、とうとう待ちくたびれて亡くなってしまった。

五つ石

そのババは、五匹の白犬を飼って可愛がっていた。その犬たちはババが死ぬと、哀しくて七日七晩吠え続けて、とうとう、石になってしまったという。


●第2展望台付近

昔の展望台は、いまの展望台のすぐ左下にある「屏風岩」と「重箱石」だった。「夫婦石」や「テングラ森」もあり、近くに「ばくち室(むろ)」や「どんどん石」と呼ばれる巨石がある。
地図でみつけて探索すると面白い。

 

重箱石

重箱石
屏風岩の上にある。



屏風岩

屏風岩
垂直にそそり立つ大岩で重箱石とセット。
ぐるりと回れるので、下から見上げてみよう。



蝦夷穴

蝦夷穴(えぞむろ)
第2展望台の下方にあるが、非常に見つけにくい。



夫婦石

夫婦石
第二展望台からテングラ森に行く路の途中にある。
参拝すると、子宝に恵まれるといわれている。



天狗岩

テングラ森
天狗の財宝が、埋められているという。



びっき石

びっき石
48石ではないが見事なカエル石。
鶏頭森(小金山公園の近く、東稜高校の上)の頂きにある。昔の雨乞いの祈祷石だった。
裏に雷神碑がある



●座禅石

座禅石

羽山の月山駐車場下にある。
上部に平らな面があって、弘法大師空海が座禅をくみ、悟りを開いたといわれている。



●失われた霊石

昔は、信夫山に登る人はみんな知っていて、敬ったり、怖れたりして大切にした四十八石も、道路整備などで取り払われ、半分くらいになってしまった。

名高かったものとしては、羽黒大権現の仁王門にあった「しめ掛け石(11)」は、踏めばかならず禍があったし、また、「仁王岩(12)」は二基の岩頭が突きだして仁王のようだった。

観音様の前の「岩坂の大石(10)」は、わらじが真直ぐ登れないのでダイナマイトで爆破してしまった。

五十辺口の「猫石(36)」は、工事のとき赤い血を流し、人夫が3人も死んだ祟り石として有名だ。