信夫山の生成

●福島盆地の形成

約1000万年前までは、福島市一帯は比較的平坦な海底で、信夫山のような存在はなかった。現在、岩谷観音付近から産する二枚貝や魚の化石は、その当時に堆積されたものである。


やがて、東北地方は隆起しはじめ海面から顔を出し、500万年前ごろから奥羽山脈の隆起が一層進んだ。
そのころ、火山活動も活発となり、信夫山の部分に地下からマグマが貫入してきて、まわりの岩石を流紋岩化した。信夫山はさまざまに熱変成したが、西半分は特に硅化した硬い岩石が見られる。

その後、約50万年前ごろ、いったん隆起した福島は、西端の吾妻山のふもとから国見にかけた断層線に沿って、ほぼ現在の福島盆地に近い形の地域が陥没しはじめた。

沈降した地域には、周辺の山から大量の砂礫や泥が流れ込み堆積しはじめ、氾濫原や沼地となり、やがて荒川・須川・松川・摺上川などによる、なだらかな扇状地形ができあがってきた。
福島盆地の誕生である。


●信夫山(孤立丘)の誕生

信夫山は、さまざまな侵食や風化にさらされたが、硅化した硬い岩石に守られ、盆地の真中に孤立丘として残された。現在の信夫山は砂礫で120mほど埋まったと考えられる。

森合の一杯森も、大森の城山も、同じ性質の残丘である。

なお、吾妻山や安達太良山は、隆起した1500mほどの奥羽山脈の上に300mほどの火山噴出物が積もった火山だという。

(福島盆地と信夫山の生成) ・入道正著「信夫山日曜散歩」より抜粋